こだわりと愛情の間
nitinoさん家の「うどんこ天気」のエントリを読んでこだわり(この場合は愛情か)ってのは総量が決まってるんだなと改めて思う。
40年近く生きてきて、人間ってのは体の大きさが決まってるように気持ちの総量もある程度の幅で決まっていてそれを色んな物や他人に振り分けて生きているんだと感じているんだけど、nitinoさんの場合は物へのこだわり(愛情)を吹っ切って友達に振り分けたんだなあと。
俺の場合小さい頃から物を綺麗にして取っておいたりすることにはさっぱり興味が無くて、それよりも世の中にある様々な情報や知識をとにかく見たい読みたい触りたいという事が優先。本に関しては図書館や貸本屋、古本屋を使いまくってた。小中学校の図書館に当時所蔵の本はほぼすべて読み漁ったぐらいに。
ネットが無かったしビデオが実家に導入されたのも俺が高校卒業する直前ぐらいだったので雑誌だけは取っておいて頭に入れた情報を参照するデータとして使ってたけど本そのものを大事に綺麗にという意識はなかったなあ。
ただ、物にはこだわりが無かったけど「情報を得る行為」にはのめり込んでいて友達と遊んでても部活があっても見たいテレビや読みたい本があると家に帰ってしまうようなワガママさんだったので友達はさほど多く無かった、という幼少時代を過ごしてしまったり(笑)
それなりに歳を経てきて今の方がかえってこだわりが多くなった気がしてる。
物にこだわりを振り分けた分、他人への愛情は薄れているような気もしてる。
かといって物を捨てちゃえば他人への愛情が戻ってくるかと言うとそうでもないのが悩ましい。他の事にのめり込みそうで。
なかなか人への愛情が持てないってのも寂しいものではあるんだよな。
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