文化・芸術

Tuesday, January 22, 2008

サブカル文化を語るときに地域格差は無視できない

はてなダイアリーなどを巡回しているせいか最近またオタク文化論や世代論を目にするんだけど、関東(含む都会)在住系の論者が陥りやすいのが(気付かないのかわざとスルーしているのか知らんけど)当時の地域格差を無視することが多いということ。

80年代後半ぐらいまでになるけど、ネット環境なんか発生すらしていない当時の子供は情報源としては基本的にTV(映画)・ラジオ・雑誌の3大娯楽でしか情報を収集蓄積できなかったんだけど、特にTV・ラジオの放送メディアに関しては地方と都会の格差は今以上に大きかった。
キー局の無い地方では1~2局しかない地元民放が中央の番組を買い取ることで成り立ってるんだけど、枠が無いゆえの制約によって当時流行っていると紹介されたアニメや特撮番組が2、3年遅れることなんてザラだったんだよ。ウルトラセブンなんて本放送は俺の生まれた年のはずだけど地元で再放送じゃない本放送で見ることができたのは俺が3歳のころだったんだよな。

だからこそ穴が開くほど貪るように雑誌を読んで情報を蓄積したわけだし、ビデオの無い時代にTVの前で番組の音声だけを録音して一言一句台詞を覚えたりなんて芸当も楽しみながら出来たわけだ。他県の局でしかやってない番組をその時間だけ何とか受信できる所に住んでいる友だちの家に行ってザラザラの画面を想像力で補完しながら観たりなんて芸当もそれだけ情報に渇望していたからできたことであって。

イデオンの映画版なんて観たのは俺が高校1年になる前だからなー。
当然前売り券や特典なんて無かったさ!!(心の叫び)

…ということなので”リアルタイムに観た”作品で世代を分けたりするのはあまり意味が無い。特に昔になればなるほど地方出身でクリエイターを切望しながら上京して今現役で活躍している人たちには違和感があるんじゃないかと思うなあ。

※ゲーム世代ネット世代には上の話は適用しにくい感じかな。

Monday, December 24, 2007

私的録音補償金管理協会(sarah)とかいう腐れ団体が最悪な件

http://www.sarah.or.jp/
これの広告バナーがYahooメールの広告欄に貼り付いてる件。
俺はYahooBBの有料メールで使ってるから余計にムカつく。


自前で購入して楽しんでるユーザーをナメてんのか?

映画館の海賊版撲滅ビデオといいこれといい不愉快極まりないのでメールで抗議しようと思ったらHPに電話・FAX以外の連絡先を掲載すらしてねえ。メールフォームも無し。
「連絡先はここ」のリンクが組織表のページってのは何かの冗談か?バナー広告を載せてるのにネットユーザーには耳を貸す気は無いってか。

保証金の使い方が明らかに間違ってるだろうが。
寝ぼけてんじゃねえよ。

Wednesday, October 10, 2007

自称芸術家が芸術家(の作品)をレイプする

犯罪を犯してにこやかに微笑む犯罪者の記事

記事の写真がレイプ裁判の判決後に悪びれず出てくる犯罪者みたいでさらに気持ち悪さが増している。本当にこいつは満足いく自分の作品を作ったことがあるんだろうか。

声明には、「一方には極めて不快で野蛮な行為があるが、もう一方 には純粋
な強い愛の行為がある。わたしの行為
は、芸術の力に触発 された芸術的行為だった」と書かれている。

そうだね、万引きと強盗は同じ窃盗だけど傷害罪とレイプは犯罪の種類が違う
どっちも同じ犯罪だけどな

ウェブ上のデータと違ってこの世に一つしかない芸術作品は修復不可能になったら二度と元には戻らない。その辺の想像力も無い奴がアーティストは名乗って欲しくないなあとつくづく思う。こいつの言ってることはレイプした奴が相手に「気持ち良かったからいいじゃん、お前を愛してるんだし。」とか抜かすのと大差ないんだから。

それと、こういう奴はいつその矛先が作品の作者本人に向かうか分からんしほんと怖いよ。この辺の実感が良く湧かない人はとりあえずこれでも観て(読んで)おいてくれということで。

ミザリー(映画)
ミザリー(小説)

このページは xfy Blog Editor を利用して作成されました。

Wednesday, September 26, 2007

語源、言葉の変遷を考える

ここに書いてあった風習「おっとり嫁じょ」でふと。

この風習自体は今の目で見ると以上というかもう駄目だろそんなん、って感じなんだけどそれは置いといてですな。田舎の昔の風習を今論じても仕方が無い部分もあるんで。

元々はたぶん風習の中身の意味そのまんま「嫁になりそうな女を奪ってくる」というところから付いたんだろうと推察される。ちなみに単語の意味はそれぞれ以下の単語からの変容じゃないかな。

奪い取り(る)→うっとる、おっとる→おっとり
お嫁さん→嫁女(よめご)→嫁じょ

熊本南部では奪い取るという意味で「おっとる」、お嫁さんのことを「よめご」という言い方をするのです。余談だが女性器のことを「めめじょ」と言ったりもしますので主に女性の○○という単語を呼び習わすときに末語「じょ」を付けるようですね。

ということで久しぶりに方言について考えてみた。

この時代「おっとり嫁じょ」の風習があった地方の親は男の子供が好きな女の子に結婚を申し込みたくてモジモジしてたらこう言うんだろうなあ。

「はよ、よめごばおっとってこんか!(早く嫁を奪い取って来い)」

まあコレだと熊本弁なんだけどね(笑)
鹿児島弁はまた違うんだよな。

Tuesday, April 04, 2006

ファンタジーの誕生と発展

国際子ども図書館の連続講義第1回

うっかりしているとこういうのがやってるからチェックが欠かせないんだよなあ。児童書籍とからめるのも面白いんだけど一般書視点でももっと語って欲しいことではある。まあ読み込んでみようかな。

Wednesday, December 28, 2005

脱オタと言う前に

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20051227/otagirl
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20051227/sawayaka
http://d.hatena.ne.jp/rawlow/20051225/p1#c1135601386
http://d.hatena.ne.jp/k-d-hide/20051202#1133525520
http://scarecrowbone.main.jp/archives/2005/12/post_212.html

冗談っぽいのも真面目なのもまとめて。(Kiyaコメントはとりあえず置いとけ)

本筋とは外れるかもしれないが、この辺の議論でいつも感じるのは根本的なところで(女の子と仲良くなるための)脱オタが現オタにとってメリットがあるのかを本気で計算してる人はどのくらいいるのかってところ。
例えば俺が脱オタしようと思って考えた場合だっていくつかの段階があるわけで、話下手ではないからそこの部分をすっ飛ばしたとしても、服装とか趣味自体をやめるやめないとか仕事以外の時間(場合によっては仕事の時間の一部も)や趣味に使っている時間を削って(異性)相手にきちんと使ってやれるか、とかいくつかのハードルがあってそれを超えることで得られる一人、もしくは多数の異性の信頼とか愛情を得ることが果たして本当に捨ててしまったものと等価(以上)なのかどうかはきちんと考えた方が良いんではないのかと思う。普段から浮いちゃう人とか話下手な場合さらにハードルがいくつも出てくるわけだし。と言いつつそこがうまく計算できないから失敗も多いんだろうけどね。

外面だけいくら取り繕ったところでメッキははがれやすいもんだから、今までやってきた自分の生き方を変える位の気持ちでやんないと無駄な時間を過ごす事になりそう。そうそう、こう書くと勘違いして何とかセミナー系に行くのがたまにいるんだけどそれは違いますから。

Monday, July 18, 2005

アラビアンナイト
【舞台劇、感想】

熊本県立劇場の観劇の会月例公演。文学座。普段はうちの奥さんと母が観に行ってるんだけど今月は俺が代わりに行ってきた。

県劇のシートは長の舞台には向かないんじゃないかと。俺はちょっと腰にキた。
内容的には生演奏の魅力もあって楽しめたんだけど、全体的に冗長で間が空き過ぎてる。かと思うと踊りのシーンなどではしょったような台詞回しで良く聞き取れない箇所がいくつかあって、あれは演出の練り込み不足じゃないかなあと感じた。
作品的には所謂古典名作をどう飽きずに楽しませるかということだろうからそういう意味では時間分楽しめたとは書いといた方が良いのかな。

どうも俺の中には新劇系の芝居は古臭いという感覚があって、それがフィルターになっている面も無くはないという気がするので普通に演劇好きな人が観たらどういう感想だったんだろうとは思う。

Sunday, June 12, 2005

語呂合わせのセンスはアジア人の突出した能力なのか

今日は体の方は結構忙しかったんだけど、頭はそれなりに暇な状態だったので思いついたことをつらつらと。

2ちゃんねるなどの語呂合わせのセンスなどをみていると、”DQN”や”厨房”など良くこんなの思いつく(当てはめることが出来る)なあと感心するんだが、このセンスって日本人含むアジア人の突出した能力なのかなとふと思った。

そもそも表音文字である欧米の言語では表意文字の1文字に意味を持たせるということは理解されにくいし、だからこそYouをUなどと表現したりすることを割と新鮮な気持ちでもって迎え入れるような感じになるのかなあと。(まあ今はラップなどで当たり前になってる表現ではあるんだろうけど)

日本人の場合自国語を表現するのに漢字、ひらがな、カタカナの3種類があるのに加えて外来語をカタカナ変換したりするのに慣れている(長けている)という特性もあってこういう語呂合わせに手馴れた能力を発揮するんだろうというのもあるし、加えてここ10年ほどはIMEの誤変換を逆手にとった物(厨房なんてまさにそうだよな)なんてのも幅を利かせてきたりするのを見るにつけ、ここまでくるとある種の特殊能力的に日本人には備わってるのかなと思った次第。
IMEに関して言えば、アルファベットだけで表現できる言語には誤入力はあっても誤変換は無いしね。

と、何だかつらつらというよりはグダグダになってしまったような気がするが脳内メモ的に今日はこんなところで。

Wednesday, January 12, 2005

ソ連コンピュータ本なんてのは大変貴重な物でして

年末コミケ用に発行されたソ連コンピュータ本(同人誌)が再販決定したのでここに記念エントリー。ありがとうございます中の人2005年1月10日の日記を参照)。この手のネタ本は市販じゃまず出ない類の物なんで貴重なんですよ、レトロPCマニアにとっては特に。

えーここを読まれることは無いと思うんですが増刷は多めにお願いします~とこっそり要望しとこう。もし余ったら布教用に数冊購入したいので。レトロPC系の結構な方々が注目してますよー。


本を書かれた方のサイト

Thursday, September 23, 2004

得るものと失うもの

ふと自分語りがしてみたくなったので書いてみる。

小説を読むにしろ漫画を見るにしろ音楽を聴くにしろ映画を鑑賞するにしろ、エンタテインメントを楽しむときに自分が何に感動(*)しているのかということを後から考えたりするのだけれど、物心付いて何十年かぼちぼちと考えつけてみるにどうも作品の中の「得るものと失うもの」のバランスを感じ取っているのではないかと気がついた。
例えば高畑勲監督の「火垂るの墓」という作品があるのだが、これには大きく心を揺り動かされた。プロット好きな私にとっては戦災孤児が飢えて死んでいくというあまりにも短い一言で書き表せてしまうストーリーそのものには正直何の興味も覚えなかったのだけれど、実際に映画を見たときには涙してしまった。でもこの涙はただ可哀想だとか悲惨だ悲劇だということに対して涙したわけではなく、”兄弟の絆”という絶対のものを得(てい)た主人公達がその絶対的なものに囚われていたが故に”生(命)”を失っていくという世の中でもっとも当たり前に起こっている人間として得たり失ったりする営みをアニメーションと言う形で記号(ビジュアル)化して見せられたことにショックを受けたことからだった。(なので野坂昭如の原作ではこのショックは無かった)
これ以降、何かを楽しんで心動かされたときにはどういうバランスでその部分を見ているかということをより突き詰めて考えるのだけれど、プロットの好みを考えなければ私にとっては「得るものより失うものの方が大き」かったり「すべてを、またはほとんどを失った状態に差し込む一条の光」があったりする作品に対してより心動かされるのだと言うことにさらに気がついた。自分の中ではエンタテインメントを楽しむ際に幸福より不幸の総量が大きい方を好むのだということなんだと思っている。単純なハッピーエンドがきらいなのもその所為だろう。

で、こういうことを書いて実は何を言いたいかというとここに書いている感想や書評は根っ子でそういう観点から書いていると言うことを書きたかっただけだったりする。少ないながらも読んでいただいている方への補足という事で。

(*)ここでいう感動は”面白い感動した”というレベルではなくもっと激しく心が揺り動かされている状態のこと


高畑勲・宮崎駿作品研究所
火垂るの墓
野坂昭如公式サイト

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