体罰の肯定否定は置いといて
めずらしくはてなのトップリンクから辿ったこのエントリ。
戸塚が正しいとはとても思わんけど、「違法な体罰を肯定する都知事」ってくだりと*2の説明はダブスタではないのかなあ。エントリの方向性からするとここはどっちも非難すべきところだと思うが。法の遵守を求めるという点で結んでいるはずなのに都知事にだけ順法を求めて高校生には甘いってのならそれは単なる感情論だろう。
ある一方を見て弱者にだけ甘いって言うスタンスはそれこそ謝った認識を植えつける可能性が大きいと俺は思うけどね。
例えばその酒を飲んだ連中から急性アルコール中毒で死者が出たら同じことは言えるのかね?そのための法律だし順法精神を説くのであれば(もちろんこのエントリがそこに主眼が無いのは承知で書いてるけど)なおさらこういう細かいところでのダブスタは目に付くよなあと。
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Comments
言及ありがとうございます。ですが、私の意図は違います。
石原都知事は、選挙によって選ばれた極めて公共性の高い地位にいますし、知事という職掌は、「法に従って東京都政を運営すること」です。従って、石原慎太郎という名前で法を軽視するような発言をすることは、それだけで鼎の軽重を問われても仕方のないものです。
一方で、駒大苫小牧の「生徒」あるいは「野球部員」という立場は、学校の管理下にいる間に限っての「立場」であって、卒業式後の彼らに「生徒」あるいは「野球部員」としての立場で責任を問うことはおかしいのではないかと思うわけです。
つまり、石原都知事の発言に対応するような状況を駒大苫小牧の生徒に求めるならば、「部の行事で」酒を飲んだような状況ではないでしょうか。そういう場合なら、部の責任や教師の監督責任を問うことはむしろ当然でしょう。しかし、生徒の私的な時間帯の些細な行為を一々あげつらうのは、例えば石原都知事が私的な外出中に信号無視をしたとして、それを鬼の首を取ったかのように咎め立てするようなものだと思うのです。無論、同知事が「石原慎太郎」の名前で「信号など無視して良い」と奨励するような発言をしたのであれば問題でしょうが。
Posted by: Leiermann | Monday, May 01, 2006 at 02:45 PM
早速のご返答ありがとうございます。
うーん、そのおっしゃっていることこそが納得いかないというか。前提としたい立ち位置がずれている所為かなあ。
俺が思ったのはどちらも”法律違反である”ことこそが共通ですよね。罪の軽重はともかくとして。であるからにはあの流れで高校生達に何の罪があるんだ、と書いてしまうと犯罪肯定ですかと問われるんじゃないの?というのがエントリの立ち上げ動機なんです。特にこのエントリではあの注は余計な気がして。
あ、もちろんLeiermannさんの高野連批判(?)の方のエントリを読んだ上での話です。いや、あれは学校の対応こそが駄目ではあるんですが。法律的にではなく同義的にですけれど。
Posted by: mgkiller | Monday, May 01, 2006 at 04:14 PM
なるほど。確かにあの注は余計だったかもしれませんね。ただし、ダブルスタンダードなのはむしろこの場合は当然かと思うのです。勤務中の都知事と卒業式後の生徒では社会的立場が違いすぎるので、追うべき責任も相応に違うべきでしょう、と。
なお、私の意図としては、どこの学校にでもある些細な問題を大仰に報道したマスコミ、それに対する学校と高野連の対応、あるいはそれを当然視した世間を批判するというのが「酒」関連の記事の目的でした。責任関係があると言い難い人たちを、微罪で厳罰に処すことの理不尽さがなぜわからぬのか、と。現役部員の気持ちに思いが行かない人たちは、「自分も苦しんだんだから他人も苦しんで当然」という思考の罠にはまっている気がしたんですよ。それでああいう注を付けました。
Posted by: Leiermann | Monday, May 01, 2006 at 04:55 PM